「親日」という言葉の定義

「タイや台湾は親日国家だ。」と最近良く聞くようになったのは、先の東日本大震災での多くの義捐金をそれらの国からいただき、注目されたことがひとつのきっかけになったと思います。

それに関して私は一日本人として大変ありがたく、もし仮にそれらの国に何かがあれば真っ先にお返しをしたいと思いました。

多くの日本人が同様に感じたと思うのです。

それとは別に、台湾やタイで日本の文化に関心を持つ人が多くいる事だけを見て、「親日国だ。」と言ってしまうことに私は疑問を感じてしまうのです。

まず、日本人がなぜ最近になってやっと台湾人やタイ人が親日国と言い始めたのかを私なりに考えたのですが、以前の日本人は戦後中国や韓国の情報操作、アメリカの戦後教育で「日本はアジアの国々に多大な迷惑をかけた。」という負い目を教えこまれ続けてきました。

しかし、インターネットの普及により様々な角度からアジアの方々の意見が入ってくるようになってきて、それが必ずしも事実ではないという事がわかりはじめたのです。

嫌われていると思っていた日本、しかしそれは本当ではなかった、日本人なら喜んで当然だと思います。

しかし、日本の全てのことを許し、日本は正当な事をしたと認め、日本という国を手放しで好きだと言っているのではないと私達は知っておかなくてはいけないと思います。

台湾の友人に「台湾は親日的だよね?ありがとう。」といった時、その友人は、

「台湾は親日というより知日で、昔の事に固執していつまでも恨んだりしない、それを良いと思えば取り入れるキャパシティを持っているんだよ。」

「台湾では他人が困っていたら助けるという事は当然の事なんだ。地震で日本人が困っているから助けた。これは当然の事だ。」

「日本が台湾を統治したことは、腹立たしいけどそれをいつまでも根に持つような中国や韓国とは違うんです。」

 

もしかしたら、その友人の少数意見なのかと思い、台湾の人々がどの様に思っているのかを台湾に住む日本語学校の先生に聞いてみたのですが、彼も同様の事を言っていました。

「多くの台湾の人は日本の文化や人、製品が本当に好きですよ。でもそれ以上ではないですね。」

 

私はもしかしたら「親日」というの言葉の意味を間違っているのかもしれないと思い調べてみると、「日本びいき」「日本文化に精通する人」程度の表現です。

それなら、親日という言葉はあてはまるのですが、それ以上の感覚を親日という言葉に含めてはいないでしょうか?

手放しで「日本が好き、日本がやる事全てが正しい。」なんて考えている国なんてどこにもないのではないでしょうか?

私はこう考えます。

日本という国は国際協力の面で多くの貢献をしてきましたが、それ以上もっともっと日本という国が海外で認められる様にこれからも頑張らなくてはいけない。

それをするのは私達世代です。

日本人の先輩方がしてきた功績を無駄にしないために。